25歳のBUMP歌詞考察ブログ

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Butterfly

 

 

曲名  Butterfly
作詞/藤原基央
Butterflies(初回限定盤)(Blu-ray付)

Butterflies(初回限定盤)(Blu-ray付)

 

 

誰にも聞こえない悲鳴が 内側で響く

気付かないふりをした人が 気付かれるのを待っている
 
いつか知った何かの言葉 重い鎧のように
この体を守るあまりに 動きを鈍くした
 
光らなくなった靴のこと 忘れてしまった唄のこと
失くさないで運んでいく やり方はないと決めている
 
誰にも聞こえない悲鳴が 内側で響く
ため息 胸に手を当てさせたのは誰だろう
 
明日生まれ変わったって 結局は自分の生まれ変わり
全部嫌いなままで 愛されたがった 量産型
 
この心 自分のもの 世界をどうにでも作り変える
どういじればどうなるか 本当はちゃんと知っている ずっと
 
誰かの掲げた旗を 目印にして
大人しく歩くけど 作った旗も隠してる
 
このまま終わるものだって なんとなく悟り
笑って歩くけど 作った旗が捨てられない
 
光らなくなった靴の光 忘れてしまった唄の唄
失くさないで運んでいく やり方を上手に出来ている
 
涙は君に羽をもらって キラキラ喜んで 飛んだ踊った
あまりにも綺麗だから愛されなかった 量産型
 
悲しいほど強い魂 どれだけ憎んでも消えない 消せない
何よりも綺麗な事 本当は もっと知っている ずっと
 
涙は君に羽をもらって キラキラ喜んで 飛んだ踊った
消えてしまう最後まで 命を歌った 量産型
 
その心 自分のもの 君が見たものから生まれてゆく
何よりも綺麗な事 本当はもっと知っている ずっと

 

歌詞考察 

誰にも聞こえない悲鳴が 内側で響く

気付かないふりをした人が 気付かれるのを待っている
悲鳴が誰にも聞こえないのは外側に音が出ていないから、
つまり心の声が叫んでる状況である。
気付かないふりをした人というのは、声に出さないで知らんぷりをした人、
つまり外面を気にした自分自身であり、気付かれるのを待っているのは内面の自分
 
本心では悲鳴を無視されたくない、でも気付かないふりをしたほうが都合がいい
そんな社会の中で矛盾を抱えて生きている主人公の様子がうかがえる。
いつか知った何かの言葉 重い鎧のように
この体を守るあまりに 動きを鈍くした
ここは気付かないふりをするようになった理由である。
「いつか知った何かの言葉」それが頭に残っていて、いつも気がかりになる。
たぶん「いつまでも夢ばっかりみるな」とか「まじめに勉強したほうが良い」とか
そういう現実的で、でも安全な道を教えてくれる言葉が重くのしかかってきて、
体を守りたいがために、本当にやりたいことができなくなってしまった。
 
光らなくなった靴のこと 忘れてしまった唄のこと
失くさないで運んでいく やり方はないと決めている
光らなくなった靴というのはきっと夢を追いかける気持ちがなくなったことを
忘れてしまった唄というのはきっと本当は歌いたかった本心(悲鳴)があったことを
そういったものを失くさないで生きていく方法はない
主人公はもう大人になって、夢は諦めるし、本心は忘れる、そういう生き方しかないと思い込んでいる。
 
誰にも聞こえない悲鳴が 内側で響く
ため息 胸に手を当てさせたのは誰だろう
それでもまだ心の悲鳴が鳴りやまない
それが音にならないため息となって出てくる
 
胸に手を当てさせたのは「誰」なのか?
もちろん自分以外の誰かではなくて、自分の中の「誰か」というのがポイントである。
BUMPではよくある自分の中の対話であるが、
個人的な解釈では、思考の中心にいて社会との関わりで悩む「外(今)の自分」と
興味関心の原動力であるが表面には出てこない「心(昔)の自分」がいて、
あと思考が止まっても惰性で動き続けて死なないように守ってくれる「体」という存在も登場することがある。
素直に考えれば「心の自分」なんだが、「体」が「心」を守るために動いたという見方もできて、解釈の幅が広い所だと思う。むずかしい
 
明日生まれ変わったって 結局は自分の生まれ変わり
全部嫌いなままで 愛されたがった 量産型
もし生まれ変わったら、というのは誰でも一度は考えたことだろう
有名人になりたいとか、あの人の彼氏になりたいとか、憧れの自分になりたいとか…
でも、本当に生まれ変わることなんてできるわけないから、
今の自分の抱えている暗い気持ちを捨て去って、心機一転、
明日からは新しい自分になろう!という考えになって、
実際にそういうことを書いた作品もたくさんある
the pillowsのハッピーバースデイとか、からくりサーカスの「いつも笑える僕になる」とか)
 
ただ、BUMPでは、生まれ変わったところで別人にはなれないよ、と歌う
 
これは少し哲学的な話になるが、もし本当に憧れの自分に生まれ変われたとして、
そこには昔の嫌いだったころの自分の意識がなければ意味がない、と思う。
そうでなければ昔の自分の意識が消えてしまう(死に等しい)からである。
タイムパラドックスと近しいところもあるかもしれない)
憧れの自分に生まれ変わったところで意識は嫌いだった頃の自分のまま、結局は外側だけ憧れになれたが、内側は嫌いな自分のままである。
 
ここで「愛してほしい」のは何なのか考える。
「憧れの外側」を愛されても嬉しいか?といわれたら、結局それは自分じゃないから何も嬉しくないのだ。
だって自分が生きてきたのは昔の嫌いだった頃の自分で、憧れの外側を手に入れてもその中身は変わってない。
 
いや厳密に言えば(ややこしい話になるが)、
「新しい今の自分」は「憧れの外側」を愛してもらえればうれしいだろう。
「でも生まれ変わる前の昔の自分」は「憧れの外側」を愛してもらっても別人なのだ。
 
基本的に「今の自分」を愛してほしい、というのが自然の摂理である。
でも「憧れになりたい未来を見ている自分」は「嫌いな今の自分」に変わってほしいと願ってしまう。
本当は、本心では、「嫌いな自分」は全部嫌いなままで愛されたがったのに、愛されなかった。
そして難解なワード「量産型」がでてくる。これは後半で話そうと思う
 
この心 自分のもの 世界をどうにでも作り変える
どういじればどうなるか 本当はちゃんと知っている ずっと
 心というのは考え方である。
世界を作り替えるというのは、ネガティブシンキングをポジティブシンキングにするようなもの。
どう頭の中で納得すれば前向きになれるのか、自分の中でちゃんと知っているよ、と。
 
でも知っているけど、どういじったのか、わからないまま、1番が終わる。
 
 
誰かの掲げた旗を 目印にして
大人しく歩くけど 作った旗も隠してる
誰かの掲げた旗=大人から教えられた安全な道=世界から好かれる自分への道
作った旗=自分で考えた理想の旗=自分に好かれる自分への道
 
ちょっと面白いのは、大人の言うとおりにすると大人しい、という言葉遊び
 
このまま終わるものだって なんとなく悟り
笑って歩くけど 作った旗が捨てられない
大人しく歩いたまま自分の人生は終わるべきなんだろうな、と悟っている主人公
安全な道だし笑っていられるくらいには幸せ、だけど昔の自分が忘れられない
光らなくなった靴の光 忘れてしまった唄の唄
失くさないで運んでいく やり方を上手に出来ている
1番の歌詞と似ているが違う点もある。こういうところがBUMPの歌詞の面白い所
 
1番ではあの頃はいてた靴は光らなくなっていたし、考えてた唄は忘れてしまった。
けど2番では、
光らなくなった靴に向けて、いまの自分に「光」が見えていることを、忘れてしまった唄に対して「あの頃の自分は歌いたいことがあったんだ」ということを唄にできた、という。
1番のときは夢は全部失くなって何も残っていないと思っていたのに
2番では失くした後のものにも、まだ心が残っていることに気づいた。
本心では、光らない靴のことを、失くしたものがあったことを、大切に思い続けていたのだ。
2番のサビに向けて歌詞が転換していくところが最高に心地よい
 
涙は君に羽をもらって キラキラ喜んで 飛んだ踊った
あまりにも綺麗だから愛されなかった 量産型
 ここの自分の解釈は二通りある。
 
まず涙の落ちる様子を歌詞にしたんじゃないかという説。
・瞳から出た涙は、瞼を閉じたときに空に浮かぶ=君に羽をもらった
・落ちている間は水滴が光を反射して光って見える=キラキラ喜んで
・落ちた雫は、飛び跳ねて散らばっていく=飛んだ踊った
・そして零れる一滴一滴は工場のように生まれてくる=量産型
 
もうひとつは、「昔の自分」の涙した本心を、「今の自分」が歌にしたという説。
ここまでの歌詞では1度も出てきていないが、涙を落とすような場面は実はたくさんあったように見える
「誰にも聞こえない悲鳴」「光らなくなった靴」「どういじればどうなるか」
 
言えない言葉を飲み込んで一人でこっそりと泣き、
夢を抱いていた気持ちは現実を見たとき叶わないことに涙し、
散々泣いた後は自分の心をいじって前向きに納得していた。
 
〈                                                                                       〉
 
本当は誰しも泣きたくないはずである。泣かないままの自分で愛されたい。
でも涙を流すときはある。現実はどうにもならず、受け入れないといけない時が来る。
涙というのはとても綺麗なのに、一度零せば涙を流す前にはもどれない。
泣いてしまえば自分の世界は変わってしまう。外の世界を受け入れてしまう。
 
悲しいほど強い魂 どれだけ憎んでも消えない 消せない
何よりも綺麗な事 本当は もっと知っている ずっと
悲しいほど強い魂とは涙を流させる自分の心であり、泣きたくないのに
涙が出るということは自分の心が間違っているんだから憎んでしまうのに
それも含めて自分自身だから簡単には消えてくれない
 
そして、何よりも綺麗な事=もっといい1番の正解を、主人公は知っているんだ
 
涙は君に羽をもらって キラキラ喜んで 飛んだ踊った
消えてしまう最後まで 命を歌った 量産型
その心 自分のもの 君が見たものから生まれてゆく
何よりも綺麗な事 本当はもっと知っている ずっと

落ちていく涙は、消えてしまう最後まで、昔の自分の「命」の象徴だった

忘れてしまった歌いたかった唄は、このたくさんこぼれる涙にあった

 

その心 自分のもの 君が見たものから生まれてゆく

でも涙を流したという心もまた「今の自分」のもので、「今の自分」=「君」が見てきたことから生まれたことだよ、と。

 

本当の正解を君はずっと前から知っていたんだ

 

 

まとめ

とりとめのない散文になって歌詞を読んできたが、ここでうまくまとめたいと思う。

 

 

涙は君に羽をもらって

 

主人公は涙をこぼすような出来事を経て、大人になった

 

光っていた靴は、涙をこぼして、光らなくなった靴になり、

あの頃あった唄は、涙をこぼして、忘れてしまった

 

しかし光らなくなった靴に光を見つけ、忘れたことを歌にする

これは涙がこぼれなければできないことだったのだ

 

そのことを大人になった主人公が歌にした。

涙は主人公に音楽をもらって、キラキラ喜んで、飛んだ踊った

音が消えてしまう最後まで 「命」を歌う唄に変わったんだ。

 

全部嫌いなままで 愛されたがった

 

本当はこの世に泣きたい人なんていない。

 

泣いてしまうのは世界と自分が相容れない時である。

 

世界が自分を嫌い、自分が世界を嫌っている

 

涙を止めるには自分が考え方を変えるか、世界が考えを変えるかどちらか。

 

自分は、自分が世界を嫌ったまま、世界に愛されたがった。

でも現実は自分が涙を流すことで世界を受け入れ、「昔の自分」は愛されなかった。

 

何よりも綺麗な事とは

この心 自分のもの 世界をどうにでも作り変える

その心 自分のもの 君が見たものから生まれてゆく

世界を作り変える心とは、結局のところ自分のものであり、

自分が見たことが理由となって 世界を作り変えていく

 

涙をこぼして世界を作り変えたこと

涙をこぼして「昔の自分」を諦めたこと

その涙というのも自分が見てきたものから生まれてきたんだ、ということ。

 

涙を流したことは世界に強制されたことではなく、

涙を流したいと思った自分がいたんだ。

 

こぼした涙は、「諦めた自分」はどうなったのか?

どんなに憎んでも消えないし、消せなかったけど

 

この歌でちゃんと羽をもらって、キラキラ喜んでいるんだよ

「諦めた自分」を歌った唄にして、命を歌ってくれている

 

何よりも綺麗なことというのは、

「涙を流した」ことである。

 

涙を流すことが大切なことを君は十分知っているんだよ。

Butterfly

最後にタイトルのButterflyについて、曲の中で一言で表すなら「涙」だろうと思う。

直訳すると「蝶」である。

今回の曲ではそのまま蝶のような歌詞で涙が歌われたが、

実はアルバム「Butterflies」では複数形になっていて、たくさんの涙の唄が収録されている。

 そこもいつか記事にしたいと思う

 

 

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

良ければ気軽にコメントをお願いします。みなさんの考えが知りたいのです。